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海洋の炭酸系研究者各位 海水に溶けた二酸化炭素の活量(Activity)の表示法について(96.5.13)
北大 院 地球環境 角皆 静男
私が Journal of Oceanography 誌に東シナ海の炭酸系について書き(資料1)、その中で溶存二酸化炭素にの活量に Fugacity(逃散度)、その単位に ppm を使おうと提案したところ、査読氏の猛烈な反発に合い(資料2、3、4)、投稿後受理まで1年以上かかりました(その他の理由もあるようですが、私の手元にあった期間はほんのわずかです。6ヶ月ほどして1回目、その5ヶ月後に2回目、3回目は20日ほどして)。その顛末を報告するとともに私の提案の賛同者を募るものです。
私がこの問題に気になりだしたのは、溶液を扱う海洋科学者が、大気科学者が用いている"分圧"(溶存ガスの場合、大気と平衡にさせてはじめて定義できる)と"pCO2"(溶存物質においてpは、-log濃度)を用いさせられている(これは海洋科学が遅れをとったためでしょう)と意識してからです。また、海洋系の研究者が溶存二酸化炭素の単位にppmと書いて論文を投稿すると、必ず大気系の研究者よりμatmに直せといってくる。古来、海洋科学者は、塩分にせよ、見かけの解離定数にせよ、便法をうまく考えてやってきた。それでこの問題についても、何か便法はないものかと考え、多少屁理屈かも知れないが、こう考えればよかろうという点に達したので、それを書いた訳です。
さて、まず下の表を見てください(μは化学ポテンシャル、γは活量係数、mはモル濃度)
溶液 気体
理想溶液 理想気体
μ = μ゚ + RT ln X (モル分率、無次元) μ = μ゚ + RT ln P (圧力、または分圧)
非理想溶液 非理想気体
μ = μ゚ + RT ln a (Activity, 活量) μ = μ゚ + RT ln f (Fugacity, 逃散度)
= μ゚ + RT ln γX = μ゚ + RT ln γP
希薄溶液
μ = μ゚' + RT ln γ'm
= μ゚' + RT ln a' ( 'を付けたのは上と少し違うから)
我々は、溶存気体については、上の m ではなく、f を用いなければならないことを知っています。
例えば、 H2O(l) = H+(aq) + 1/2O2(g) + 2e− の場合、
酸素には、f を入れなければなりません(海水の場合、飽和度 x 0.21)。これは m 濃度単位と異なります(標準状態が異なるからです)。この違いをはっきりさせるため、私は溶存気体の活量は、f で、二酸化炭素の場合は、f(CO2) で表そうといったわけです。
ガリウムで何を組み合わせるん。
さて、活量は、本来、標準状態に対する比で、無次元です。私は、上のPにもfにも圧力の単位があることは知っています。しかし、これも本当は、標準状態(1atm)に対する比、つまり無次元です。当然、対数をとる数値は無次元です(なお、活量係数も無次元、mも1Mに対する比)。 したがって、fを無次元として取り扱えるなら、その百分の1を%、百万分の1をppmで表してもなんらおかしいことにはなりません。さらに、実用上、溶存気体の活量係数は1と仮定できますから、ppm表示の標準ガスと同じ測り方をすれば、水蒸気を除こうと除くまいと、標準ガスに対する数値にppmをつけておけばよいことになります。
逆にμatm表示をすると、全圧はいくらであるとか、水蒸気は含まないとか、海水成分でさえ、いちいち断らなければならないことになります。それに、海洋科学者は、大気と接しない溶存気体を扱うこともあります。
受理されたとはいえ、もし私の考えに重大なミスがあれば、差し止めることも可能です。みなさん方のご見解をおうかがいしたいと存じます。なお、2回目のコメントに対する回答は、多少感情的でした。それは1年近く経っていたこと、好き好きに関わる部分に間違いだといわれたこと、この程度のコメントで大幅な改訂が必要といわれたことによります。私の感想は、日本でレベルの高い大学院教育を行っていないため、低級な議論が行われているというものです。その具体例をコメントの中から拾ってみます。
1.Normalize することの意義。
保存成分としての動きを消すため、3ー4桁以上の精度の数値を解析するときには必須です。塩分が大きく異なったとき、加算できないのは当然です。
2.河川からの寄与の見積
塩分が大きく変わっているところでは、いわゆる希釈曲線を解析すればよいのですが、この場合のアルカリ度のように Normalize すると、塩分に対する傾きから河川の寄与がでてくるというのは、当然ではないでしょうか(式をこねる前に、感覚でわかる。私はそれが強すぎて切片を間違えた)。
3.平均滞留時間について
この便利なパラメーターの使い方に注意すべきでしょう。この場合のアルカリ度のように水の交換以外の sink が無視できれば、水の滞留時間になります。
私に言わせれば、上記は碁の定石みたいなもので、海洋化学の常套手段です。大学院で十分に教育するとか、教科書をつくるとかが必要なのかも知れません。
実は、余りに長くかかったので、もう次の構想ができてしまい、少し手を加えたいところもあります。海面における全炭酸の交換平衡は、意外に速く達成されるということです。したがって、水温低下の効果が大きくなり、北部北太平洋の吸収量が大きいということです。
JO 編集委員長
高橋正柾 様
北大 院 地球環境 角皆 静男
4月27日づけ私どもの論文に対するコメントありがとうございました。C氏のコメントにはなお不明の点がありますので、訂正の前に下記の点につき、説明をお願いしたいと存じます。
なお、A氏のいうことは気相に対してであり、溶液を見ていないのではないかと思います。
サーフェスpicutresを骨折
1.私は、溶存ガスの Activity(活量)に Fugacity を用いました。Activity にしておけば誤解がなかったかも知れませんが、溶存ガスであることをはっきりさせるためには、Fugacity の方がよいと考えたからです。
ご承知のように活量は
μi = μi゚ + RT ln ai (p, T const)
で定義され、ai は、標準状態に対する比で、無次元です。ただ、pHを水素イオン濃度(次元あり)というように、我々は慣用的には、次元のついた数値(活量係数は考慮するにしても)を平衡式にいれて計算しています。しかし、溶存ガスが平衡式に入ってくると(溶媒の活量を考えても)問題が起こります。例えば、
H2O = H+ + 1/2O2 + 2e− の場合、酸素には無次元の Fugacity を入れなければなりません(海水の場合、飽和度 x 0.21)。これは溶存イオンの濃度単位と異なります。標準状態が異なるからです。
Fugacity に atm という単位があることは知っていますが、これを落とさない限り計算はできません(Activity と同様)。
2.ですから、「Fugacity にもともと atm という単位があったにせよ、無次元として用いなければならないのだから、その百万分の1に ppm とつけて表示しよう」というのが私の提案です(and a unit, ppm, for one millionth of fugacity, even though fugacity has a dimension of pressure という文があのようにとられたのは、私の不徳のいたすところです)。
3.C氏は、Fugacity に単位がある点に固執しているので、上の私の主張をよく吟味し、私のB氏宛回答を読んでいただきたいと存じます。その上で、B(A)氏を正しいとした理由を再度説明していただきたいと存じます。
レフェリー氏へ
(1)Fugacity について
私どものいいたい点は以下の通りです。
1)海水中溶存ガスに分圧なる用語を用いず、Fugacity(フガシチー)を用いる。 不幸にして海洋の二酸化炭素の測定は大気のそれより遅れてしまったため、分圧なる用語が人口にカイシャされてしまった。しかしながら、海水中溶存ガスに分圧なるものはない(その海水と平衡にある大気の中での分圧である)。海水中溶存ガスに対する大気の分圧に相当する用語は、フガシチーである。
2)pCO2なる表記法を用いず、f(CO2)なる表記法を用いる。 pCO2は、本来、pに Subscript としてCOをつけ、さらにそのCOの Subscript として2をつけるべきものである。ところが、通常のプリンターではそれができないので、このような表記法になってしまった。しかも、pはpHのように、分析化学等においてp関数(-log、逆数の対数)に用いるので、これと紛らわしくなってしまった。
675の素因数分解とは何か
3)単位はppmで差し支えがない。 分析化学や海洋化学のように、化学を応用する科学においては、物理化学に基礎をおきながらも、実用上の便法を数々用いてきた。フガシチーが最初に定義されたとき、確かにatmなる単位はあった。しかし、溶存ガスのフガシチーは、溶存イオンの Activity(活量)に相当するものであり、活量は、標準状態に対する比、つまり無次元である。したがって、フガシチーの百万分の1をppmで表したとしても、理論上抵触するものはないし、実用上困ることはない。逆に、atmで表すと、大気の分圧と混同し、水蒸気圧をどうするなどといったことにも気を使わざるをえない羽目になる。さらに便利なのは、標準物質は、ppm単位で表されているので、これと同じ測り方をすれば、それとの相対値にppmをつけておくだけでよいという点である。
レフェリーのコメントに対するコメント
1)前段は、現在の測定法の主流を述べただけであり、測定法そのものはどんなものであっても構わない。将来変わるかもしれないし、現に半透膜法など別の方法もある。要は、測定精度を勘案した上でどういう表示法にするかだけである。
2)溶存ガスの Fugacity を知らないとはまったく驚きました。このような人にレビューを依頼する編集委員の方にむしろ疑問を感じます。なお、Fugacity in solution の訳は、溶液の Fugacity ではなく、Fugacity of CO2 in solution つまり、溶存ガスの Fugacity です(公開の場で対決するというのならいつでも応じます)。
3)このレフェリーは、論文の本旨(事の本質)とは無関係の、いわば好き好きに類する部、つまり、箸の上げ下ろしに文句をつけ、あるいは仏教をやめてキリスト教にせよといっているようなものです。もちろん、私としてはこのような表記法が一般化されることを望むものでありますが、他人がどのような表記法用いようと文句をいうつもりはありません。なお、私の方が優れていると考える点は上に述べたとおりです。
(8)f(CO2) が沿岸域で小さいことについて
確かに個々の値については、温度効果が大きいでしょう(平衡に向かって動いていますから、水温が急変すれば、その分がそのまま f(CO2) の変化になる)。私が問題にしたかったのは、一年を通して沿岸域で値が低いという事実だけであり、個々の値の原因ではありませんでした。この点で誤解を与える文章でしたので、修正させていただきました。なお、NTCが大きいのは、二酸化炭素が吸収され、有機化され、底で分解して再生した結果であり、NTAが大きいのは、河川水の効果であることは、後で議論した通りです。また、温度、塩分の図の件は、後述しますが、ことさらそれを載せてページ数を増やすことはないということです。
(3)河川水のアルカリ度評価について 私どもの計算結果には誤りはありませんが、絶対量と濃度を混同したために、誤った表記をしてしてしまいました。この点は、文章を修正しました。なお、式の誘導は別紙(最後)に手書きした通りです。また、レフェリー氏の式も間違っていませんが、まだ途中です。 (4)平均滞留時間の評価について これも木を見て森を見ざるの類です。レフェリー氏の式に間違いはありません。ここでは(8')式のnsをアルカリ度から求めたわけです。当然、詳細な観測をすれば、塩分からも、また野崎氏のようにRaからも求められます。
(6)Normalize について レフェリー氏は Normalize の意義をまだ理解しておられないようです。保存成分である塩分に対して Normalize することにより保存成分としての動き(水の混合、蒸発、氷結など)が消え、非保存成分としての動き(光合成、溶解など)が現れます。Normalize しなければ、河川からはいるアルカリの効果も、再生した炭素もわかりません。全炭酸と塩分の図があればわかるというのは、頭で Normalize した図をつくっているからです(とても正確なものはできませんが)。つまり、Normalize したものの図があれば、塩分の図は不要ということです。紙数が許されれば、塩分や温度の図を上げても無駄ということにはなりませんが(たぶん、このプロジェクトの別の者からその図は上げらるでしょうし、大体の塩分なら、海洋学の知識のある者ならわかるでしょう)、密度だけあれば、本論文における議論では十分と考えました。
(10)全炭酸収支表について コメントありがとうございました。当然のことながら、それは考えております。しかし、表題に Preliminary と書きましたように、まだ観測は続けられていますので、それが終わってからまとめたいと存じます。
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海水に溶けた二酸化炭素の活量(Activity)の表示法について(2)
海洋の炭酸系研究者各位
1996.5.22
先に(5月13日付け)で、皆様にお手紙差し上げたところ、ある方から Journal of Oceanography 誌の編集委員長宛、1)そのようなことをさせると、以後JO誌の査読を引き受けなくなる、2)コメントに対する私の回答をつけないのはフェアではないと電話があったそうです。
それで、2)の分を同封します(後述するように、対等でない著者にその義務はないと思いますし、査読者とのやりとりそのものを問題にするつもりはありませんでしたが。つまり、査読者のいいたいことだけがわかってもらえればよいと思っていました)。
1)については、編集委員長に伝えるのは筋違いで(もし編集委員長に圧力をかけさせようというのであれば、まさにアンフェアです)、私にいうべきことでしょう。(2)の方もそうでしょうが)。一般に著者は弱い立場であり、この場合のように、編集者が査読者の見解をそのまま著者に伝える場合は、査読者の判断で没になります。したがって、その権限を有する査読者は、その文章に責任を持たなければならないと思います。つまり、対等でない著者の文書と査読者のコメントは同列ではないということと(私の1回目の回答の言葉尻を捉えて、−ここでは著者の回答ではなく、読者の目に触れる本文そのものを問題にすればよいと思っていますが−、2回目のA氏のコメントが生まれた点を理解するためには、確かに私の回答が必要だ ったでしょう。しかし、そこまで読んでくれることを私は期待していませんでした)、コメントに従がわさせられる著者がそれをどのように取り扱おうと非難される筋合いはないということです。
また、コメントは匿名なのですから(私は、誰が査読者であるか詮索するつもりはありませんし、その心当たりもありません。ただ、日本人であろうことは文章から察しがつきますし、編集委員長がこの分野では日本で第1級の研究者と認めていることも確かでしょう)、査読者が別のことであるいは個人的に、著者から問題にされるということはないはずです。
ただ、私にとっては、この論文は Stephan Kempe にも見てもらったのですが、問題とする点がまったく異なり、前回書きましたように、日本のレベルアップと日本が世界をリードすることの必要性を痛感させられた1事件でした。
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